華麗な化粧廻しを付けた赤ちゃんが、見えない神様とすもうを取る。地域・男女を問わずどなたでも参加できます。
江戸時代から続く可愛らしい行事 神様とすもうを取る
赤ちゃん「初土俵入」は山王宮境内にある摂社・杉末神社の例祭に執り行われる神事です。華麗な化粧廻しを付けた幼児が見えない神様を相手に相撲を取るという、全国でもきわめて珍しく、また可愛らしい神事といわれています。
行司に抱かれた幼児は四股を踏み、その後神様を土俵際まで押し出そうとしますが押し戻されて負けてしまいます。しかし、神様と相撲を取り神聖な土俵の砂をお尻に付けることで健康を授かるという微笑ましい神事として継承され、全国から多くの幼児が参加しています。
地域・男女を問わずどなたでも参加できます
現在使われています化粧廻しはいずれも神社により最近作られたもので、神社に関わりのある景色や草花の絵が使われています。また、女の子にも似合うようにやさしい柄の化粧回しも取り揃えられています。
初土俵入は地域を問わずどなたでも参加できます。毎年300人ほどの申し込みがあり、約半数が京阪神をはじめとする遠方の方々となっています。神社は日本三景の天橋立のすぐ近く、車で5分ほどの場所にあります。観光も兼ねて丹後の宮津を訪れて下さい。
令和7年・初土俵入の参加について
開催日時/受付
■ 令和7年10月13日(祝・スポーツの日)・午前9時より開催します。
■参加受付人数を300名に制限しますのでご了承ください。
■9月上旬に申し込みフォームをこのホームページに設置して、申し込み先着順に受付をします。事前予約は出来ません。
■ お申し込みは午前(9時〜12時)・午後(12時〜4時)の二部に分け、先着順に参加時間を振り分けます。時間の指定はできませんのでご了承ください。
■ お子様の土俵入りの開始時間、また当日の参加要項は受付完了後に正式にメールでお知らせします。
参加資格/参加料
■ 6ケ月くらい(※首がすわれば参加できます)から2才未満の幼児。女の子も参加できます。
■ 化粧回しの長さは40センチくらいです。小さなお子様は長さの調整ができます。
■ 参加料は5,000円です。ご祈祷料。化粧廻しの貸衣装料。着付け料が含まれています。
■ 参加された方々には記念の初土俵入絵馬を授与致します。
■ 参加料は当日受付時にお渡し下さい。
仕度
■ 開始時間前には土俵近くにお越し下さい。おむつだけの裸になって戴いて着付けをします。おむつが隠れるようなパンツがあるようでしたら、付けていただきますと見た目が良くなります。
土俵入り迄の次第
■ 受付が済んだ後、時間になりましたら受付番号とお名前をお呼びしますので着付け所にお入り下さい。5名一組で着付けを致します。
■ 着付けが済みましたらご神前で神様とすもうをして健康授かるように祈願をします。この祈願も5名で行います。
■ ご祈祷が終わりましたら土俵へ進み、いよいよ初土俵入を行います。行司さんに赤ちゃんを預けてください。
■ 初土俵入が終わりましたら、次の方のためになるべくお早めに着付け所へお戻り下さい。
駐車場 / トイレ / 授乳所
■ 駐車場は神社裏側の滝上グラウンドを臨時駐車場とします。神社参道より一筋南、国道のマクドナルド前の道を山手に上ると着きます。駐車場から神社まで徒歩2分です。
■ トイレは臨時駐車場の入り口付近に。また神社左側の児童公園には赤ちゃんを寝かせるベッドの付いたトイレがあります。
■ 着付け場所の隣、神輿蔵を臨時の授乳所としています。着付けスタッフにお尋ね下さい。
アマチュアカメラマンの方々へ
赤ちゃん初土俵入の参加者が増えるとともに、同日神社に訪れるカメラマンの方々も数多くなって参りました。とても可愛らしい被写体を熱心に撮影されます方々も、参加者と同じようにご遠方より来ていらっしゃるようです。ただ最近、あまりにも多くのカメラマンが来られますことで、初土俵入の行事に支障が出る事態となっています。
以下の事項をご留意ください
■ お子様を撮影されますご両親の撮影場所の確保にご協力下さい。我が子を撮影される方が最優先です。土俵前を空けてあげて下さい。
■ 最初の土俵入りから十番くらい迄はテレビニュースのために報道各社のテレビ撮影があります。ご協力をお願いします。
■ 神社駐車場はスタッフ、報道のためのスペースとなっています。車は臨時駐車場へ止めて下さい。
以上、楽しい一日となりますようマナーを守り、ご協力をお願い致します。
初土俵入の由緒
宮津の町では江戸時代初期から盛んに地元力士により奉納花相撲が執り行われていました。その影響を受け、江戸中期に氏子中の有力な家々が屋号などをもとにした化粧廻しを作り、その息子たちを土俵に上げたのが初土俵入の始まりです。
神社に残る文献によりますと延宝九年(1681)より「花相撲仕り・・・」とあり、その頃から寛政年間(1789)にかけて徐々に現在の形が作られていったと考えられます。天保七年(1836年)には凶作なので子供の土俵入りだけを行った記録が残っています。旧家には昔使われた化粧廻しを残す所もあり、現在もご自分の家の化粧回しで参加される方もいらっしゃいます。またその一部は神社に寄贈されて大切に保管されています。